<脳死判定>6歳未満で初 家族同意で臓器提供へ

ずっと懸案になっていた子供の臓器移植だが法は整った。
しかし、日本人は明確な宗教観は持たないくせに倫理観だけは強い。
大人の臓器移植と子供の臓器移植。明確な違いはない。
あるとすれば臓器的強者側の意思が明確でないことであろう。

日本臓器移植ネットワークは14日、
富山大病院に入院していた6歳未満の男児脳死と判定され、
家族の同意で臓器が提供されることになったと発表した。
15歳未満からの脳死臓器提供は、
10年7月17日に全面施行された改正臓器移植法で可能になり、
昨年4月の10代前半の男子に続き2例目。
判定基準がより厳しい6歳未満の脳死判定は国内初。
このように具体的に動き出した臓器移植ネットワークないの、
15歳未満からの臓器提供だがいくつもの壁にぶつかり、
やっと実際に行われる医療行為である。
ドナーとなるお子様の冥福を祈ると共にご両親の英断を讃えたい。

心臓は、大阪大病院(大阪府吹田市)で10歳未満の女児へ移植される。
実施されれば、10歳未満の小児への心臓移植は国内初となる。
肝臓は国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)で10歳未満の女児、
両方の腎臓は富山県立中央病院(富山市)で、
60歳代の女性に移植される予定。
家族は心臓、肺、肝臓、膵臓(すいぞう)、腎臓、小腸、
眼球の提供を承諾したが、膵臓、小腸は医学的理由で移植を断念し、
肺は該当者がいなかった。眼球は別途あっせんされる。
臓器移植の内容を見ても素人目にも難しい手術が連なっている。
特に移植を受ける側の患者さんがまだ幼いので手術に対力が耐えられるか。
医師団は万全の体制で移植にあたっていただきたい。

移植ネットによると、男児は脳に十分な酸素が行かず、
脳機能が損なわれる「低酸素性脳症」で入院していた。
今月7日、主治医から「重篤な脳障害をきたしている」と告げられた家族が、
臓器提供を申し出た。
家族の希望で9〜10日に計70分、
富山県の移植コーディネーターが一般的な事柄を説明した。
さらに12日午後5時半、主治医から移植ネットに連絡があり、
コーディネーター2人が約1時間説明。
同日、親族8人が脳死臓器提供を承諾したため、脳死判定を実施した。
お子さんの重篤な症状に対して臓器提供を申し出たご家族には、
頭が下がる思いである。私にも子供はいるが無理だろう。
また移植コーディネーターの話もわかりやすく確実に行われたと推測される。
主治医、コーディネーターが信頼できない場合、
家族の方は臓器提供は取り消すであろうからだ。

6歳未満の子どもの脳死判定基準は、
改正法の運用指針などで6歳以上より厳格に定められている。
例えば判定は1回目と2回目の間隔を成人の4倍長い、
「24時間以上」空けなければならない。
成長段階にある子どもの脳は回復力が高いなど、未解明な部分が多いためだ。
子供の脳死判定基準が厳格なのは、移植先進国の例に倣ったのであろう。
それと、日本には国境となる宗教がないためあまり宗教観では判断されない。
どちらかというと倫理観を最優先させる傾向があり、
まだ幼い子供からの移植は判定基準を厳格にさせたと思われる。

男児の1回目の脳死判定は13日午前9時15分に始まり、
同日午後0時8分に終了。
2回目は24時間11分後の14日午後0時19分に始まり、
同日午後2時11分に終わった。
富山大病院は外部の小児集中治療の専門家2人も加えて脳死を判定した。
若年層の脳死判定というのはかなり困難だと聞いている。
それは回復するというものではなく一時的に電気信号を出したり、
何らかの刺激に反応してしまうことがあるからだ。
そうした信号や反応があれば脳死判定はやり直しとなる。

男児からの臓器摘出手術は15日正午ごろからの見込み。
移植が行われれば、97年の臓器移植法施行後177例目、
改正後は91例目となる。
日本でも移植が多く行われてきているがまだ若年層ドナーからの移植は、
ほとんど行われていない。ましてや6歳未満である。
移植手術は困難を極めるであろう。
成功して欲しいのはもちろんである。また日本の医療技術は高い。
しかし、手術に関してはその回数実績が圧倒的に正効率を高める。
その意味でも、大きく日本の移植医療に貢献するだろう。

今回、移植ネットは家族から話を聞き、
書面などで本人の拒否の意思が表示されていないことを確認した。
また男児に虐待の事実がないことも確認したという。
この点については当然の確認事項であろう。
ドナーという存在の有難味だけで移植を決めてはいけない。
そのバックグラウンドの確認は必須となる。

14日記者会見した厚生労働省臓器移植対策室の、
間(はざま)隆一郎室長は、
「亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。大変な悲しみの中で、
重たい尊い決断をされたご家族に敬意を表したい。
移植手術が成功して、提供のご意思が生かされることを望んでいます」
と語った。
このような言葉が最も無難であることは確かだし間違ってはいない。
しかし、政治家や官僚はマスコミに叩かれないように原稿を読んでいる。
この厚生労働省の室長は自分の本音を述べていないと思う。
この談話は、100人が聞けば100人が納得するものである。
例えば室長が子供に対して深い悲しみを涙を流し述べたり、
脳死判定のデータをオープンにして移植賛成の意を述べるなど、
官僚としてではなく1個人としての発言が聞きたかったところである。